2015年10月15日 11:32

罰と勉強を勘違いしている大人

 先日、小2に娘の学校の宿題を確認していると、

「今日は給食当番でマスクを持っていくのを忘れたので、漢字の書き取りの宿題があるの」

と言うものですから、ぎょっとしてしまいました。娘のクラスでは、最近なにか忘れ物をすると、罰として漢字の書き取りをやってくることになっていたそうです。

 いやですね、持ってこいと言われていたものの確認を怠ってしまったのはこちらの問題ですけれども、罰として学習課題を出すというのはアウトですよ。これじゃあ漢字の書き取りは懲役と同じになっちゃいますからね。わざわざ漢字嫌いを作っているようなもんです。

 この件については、家内が何かの折にお手紙を書いて、その後はおやめになったようですε-(´∀`*)ホッ

 でもまあ、私たちも気をつけなければならないところかなとも思います。勉強に限らず、例えば部活の練習なんかでも、罰としてグラウンド10周してこいなんて課題を出す指導者や上級生がいるなんてことはよく聞きますけど、これだってわざわざ子どもを運動嫌いにしているようなもんですよね。

 何かを身につけるための練習はたしかに面倒くさくて辛いこともある。でも、それは無意味な苦行であるべきではないです。練習の厳しさ、辛さみたいなことと理不尽な課題の押し付けとは、子どもに何かをやらせる立場の大人であれば、明確に区別がつけられなければいけないでしょう。

 家庭でも学校でも塾でも、教育の最終的な目標は、子どもが自ら学ぶ人間になるようにすることです。だから、子どもを勉強嫌いにすることが一番いけないことなんですね。罰としての勉強とか、効果不明で子どもの能力を無視した理不尽な課題の押し付けなんてのは、教育ですらないと言っていいでしょう。

 その他にも、オカルト的な早期教育とか、子どもの特性に合っていない中学受験とか、子どもを無気力で勉強嫌いにし、可能性を潰すだけの「子育て」・「教育」はたくさんあります。

 最初に紹介した教諭のように、罰として学習課題を出してしまうような人は、勉強を苦行のようなものだという観念があるのでしょう。そして、やはりご自分も勉強嫌いだったのかなあと想像するのですね。

 だけど、こんなのってもちろん誤った観念ですし、こんなものを子どもに伝えられるのは、子どもたちにとって迷惑極まりないことですよね。だって、本来自分から学ぶ能力が身についたかもしれなかったものを、わざわざ勉強嫌いにさせられて、可能性を潰されてしまうわけですから。

 それで、親御さんの中にも、「勉強なんか面倒で辛いだけのものだ、勉強なんて面白くない」なんて思われている方がいるとすると、大変失礼なことを言うようなんですが、少し子どもの勉強面からは一歩引かれたほうが良いのだと思うのです。お子さんの可能性を潰すような誤った観念を伝えかねないという理由です。その代わりに、野外活動とか体験活動とか、一緒に楽しく遊んで過ごすことに力を入れられれば良いと思います。

 まあ、「自分は勉強が好きだった」けれども、お子さんがそうではないなんてケースも有るかもしれませんね。それはそれでお子さんには残念ながらうまくそれが伝わらなかったということですので、やはり親御さんはお子さんの学習面から一歩引かれたほうがよろしい。

 そして、しかるべき専門家の助力を得られるような体制を作られるのが良いと思います。例えば、国語道場であれば、「ことばの学校」という、読書を通して活字に親しみ、読むことに耐える力をつけ、日本語力を伸ばし、かつ受講者全員が楽しいと言っているような指導法があります。

 とにかく子どもを勉強嫌いにすることだけはダメです。勉強したり、本を読んだりといった知的な活動は楽しいという経験をたくさん積ませてあげたいものです。

—————

戻る


お問い合わせ先

国語道場(西千葉)

稲毛区緑町1丁目27-14-202
千葉市
263-0023


043-247-7115
お電話のお問い合わせは、火~土曜日の午後3時~9時
メールは24時間承っております。