なぜお子さんの「体験的まなび」は身にならないのか

2026年02月03日

今となっては昔のことですが、印象に残っている出来事があります。

中学理科の授業でのこと。音の大小や高低がどのように変わるかについての問題のまる付けのときです。問題はこんな感じでした。

①弦の押さえる位置をコマに近づけて弦の振動する部分を短くしたらどうなるか
②弦を太いものにしたらどうなるか

①は、とうぜん音が高くなりますね。②は、音が低くなります。ところが、これをまったく逆に答えた生徒がいたのです。

これは原理ができていないのかと思い、その生徒に聞いてみたところ、仕組みはいちおう理解できているようでした。驚いたのは、その生徒は学校の音楽の授業でギターを習っていて、弦を押さえる位置をギターの胴に近い方にすると音が高くなるとか、細い弦よりも太い弦のほうが音が低いということを知っていたことでした。

お子さんが、経験的に知っているはずなのに、その知識を勉強に行かせない。こういうことは実はよくあるのではないかと思っています。

「体験格差」なんて言葉がはやっているようです。

お子さんが将来入試や就職などで「不利にならないように」、あれもこれも習い事をやらせたり、いろいろとイベントに参加させたりしたくなる親心は分かります。そういう心理に付け込むように、高額な体験商品を作って売り出す業者も次々と現れていることでしょう。

まぁ、お子さんが疲弊しない程度にあれこれやらせるのは好きにされればいいのですが、それが《学び》に結び付くのか、というと、私に言わせれば、「そういうことじゃねぇんだよ」というところです。

つまるところ、お子さんがぼーっとしていたら、実際に体験したことがあって、同じようなことが目の前で起こっても、それがどういうことかも気づけない。それじゃ、どれだけお金や時間・エネルギーを費やしても、意味がないですよね。

いちばん大切なのは、お子さんがぼーっとしていないことです。お子さんに詩人のような感受性があれば、高額な体験商品なんて与えなくても、日常生活の中で体験的な学びなんていくらでもできるはずです。

そんなこと、どうしたらいいのかと思われるかもしれません。私自身の子育ての経験から申しますと、お子さん自身の興味・関心に寄り添うことだと思っています。鉄道とか、虫だとか、ポケモンだとかいろいろあると思うんですが、お子さんが何かに興味を持っていそうだったら、親御さんもそれについて知ってみる、本を買って一緒に読んでみる……お子さんの興味・関心を一緒に体験するのがいいと思います。

ここで大切なのは、親御さんがお子さんにやらせたいこととか、子どもにはこういう体験が必要なんじゃないかと頭の中でこねくり回したようなことをやらせるのではないということです。

子ども自身が自分の興味のあることにどっぷりつかることができて、「世界は面白い」と思えるようになるのがスタート地点。そこから世の中を見るようになれれば、日常的な周囲のものの中から面白いもの、大切なものを見出せるような、知的好奇心が育ちます。こういうお子さんであれば、体験したことをどんどん自分の学びに生かせるようになるでしょう。