読解力がないとはどういうことか
大切なことなので何度でも申し上げますが、「国語」の問題をどんどん解けるようになるスペシャルなテクニックみたいなものなんか存在しませんからね。
いや、確かに世の中には「国語」の「読解」の本はたくさん存在します。しかし、その多くが、学習者よりも指導者向けかなというものですね。たしかに指導者という立場の人間は、それらに目を通して知っておくべきことがたくさんあるとは思います。でも、これをどれだけの子どもが使いこなせるのかなあ。ちょっと疑問です。
学びの場においては、もっとシンプルで、汎用性の高い能力が身につけられるようにすべきだと思っています。
これも重要なので何度でも繰り返しますが、国語の読解などというものは、文章に書かれていることを自分の言葉で言い換えられるようになれば、それで勉強としては完成なのです。ただ活字の上を目がなぞっているだけのような論外のレベルから、ここで筆者はなんのことを言おうとしているんだろうかと考えもしないで「読ん」でいるようなことをしているから、読めるようにならないだけのことです。
だから、国語道場の私の指導においては、問題の正答というのは副次的な意味しか持っていないことが多くて、仮に正解だったとしても、その解答に至ったプロセスをよくしゃべらせます。一番多いのは、どうしてそれが正解だと思ったのかという理由を聞くことです。
しかし、まあ、言えないもんですね。どうしてこれが答えだと思ったのか説明してみようと聞いてみても、
「これが答えだと思ったからです」ーーいや、だからその理由を聞いているんだけどな^^;
「ハェ(゚Д゚)?」ーーそんな、怒られても・・・
最初のうちはこんな反応が返ってきます。それも、中学ではそれなりの成績を取るような子でもですよ。
もちろん、この状態でおいておいたら、中学レベルではそこそこ成績が取れるとしてもそこ止まり、とても大学に進めるようなものにはなりませんので、しっかりと指導します。
私の質問に対して、理由のようなものを言おうとしている状態でも・・・
「二人は、洪水で一面水に飲み込まれた村の跡を、ぼうぜんと木の上から眺めていました( ̄ー+ ̄)キラリ」ーーそこ設問となんの関係もないよね・・・
「この鳥は、『ブッキョッコー』とは鳴かないと言い出した人がいた。よく調べてみると・・・」ーー当たっているんだけど、そこがどう君の答えの理由になっているのかな?て言うか、君それ本文読んでるだけだよね・・・
国語読解指導のはじめのうちは、誰もこんなものです。
つまるところ、読解力がないというのはこういうことで、書かれていることを自分の言葉で言い換えられない、ひいては、何が書かれているか頭を使って考えて読むという習慣がないということなんだと思います。決して、「国語」「読解」のための何とか方式のテクニックが身についていないということではなくて、それ以前の問題のほうが大きいと思います。
まず、自分の答えの根拠となる本文中の部分を明確にし、それを自分の言葉で簡潔に語れるようにする。これが、国語道場における私の読解指導のアルファにしてオメガです。
学校や入試という場を離れて、実際に世の中で使える国語力というのは、むしろこちらではないかと思いますが。