まともにものを考えるトレーニング
千葉市内の一般公立小・中学校の冬休みが終わり、国語道場も本日より通常時間帯での授業を再開しました。
冬期講習や夏期講習では、中学生の国語の授業で、文法などの言語事項の復習を真っ先に行っています。
文法の学習の主眼は、日本語のしくみを知るということにあります。しかし、それだけでなく、文法の学習は、論理的にものごとを考えるトレーニングになると、私は考えています。
塾の仕事をしていてしばしば危機感を覚えるのは、多くのお子さんがまともにものを考えるトレーニングを受けていないのではないかと思われることが多いことです。それなりの成績をとるお子さんでもそうです。
とにかくさっさと終わらせることしか考えていないように見えます。何か思いついたことをテキトーに書いて「出来ました」と言って見せにくる。ところがまるっきり見当違いなので、「どうしてそれが答えだと思ったの?」と聞くと、理由が何もない。
わんこそばみたいにあとからあとから出てくる計算プリントをカリカリカリカリやるような勉強が良くないのかもしれません。問題を解くときには、なぜその答えに至ったかというプロセスを自分の言葉で説明できることが重要ですが、それを面倒くさがって、その大事なプロセスを全部すっ飛ばして、とりあえず「答え」を書いてしまう。そしてそんなことを「勉強」だと思っている。
こんなものは、当て勘と何ら変わりません。こんな「お勉強」に何百時間かけようと少しも頭良くなるはずがありません。しかし、これが成績が真ん中くらいで伸び悩んでいる普通の子どもたちの現実です。本当にまともにモノを考えさせられるという経験が足りないのです。
千葉の県立高校でそこそこのところに行きたいと思ったら、国語の文法問題では、どんな単語でも、名詞・動詞・形容詞・形容動詞・副詞・連体詞・接続詞・感動詞・助詞・助動詞の10個のうちどれか正確に秒で言い当てられる力が最低でも必要です。
で、これ自体はそこそこものを考える力さえあれば、簡単にできるはずです。まず、その単語が自立語なのか付属語なのか、自立語だったら活用があるのかないのか・・・といった感じで、一歩一歩考えていけるようになれば、だれでもできるようになるものです。
逆に言うと、この程度アタマを使うのも面倒臭がってやらない、自分が頭を使えていないことに気付けていない子どもたちがいかに多いことか!
国語道場では、中学生の国語はすべて私が個別に指導しています。その理由は、私のように重厚感のあるおっさんが「重石」にならないと、子どもに「まともに考えなきゃ」というふうに導いていくのがなかなか難しいからです。
私:「はい、この単語の品詞は何でしょう?」
生徒:「ええと、助詞・・・かな?」
私:(#`-_ゝ-)ピキ
生徒:(やばいやばい、ちゃんと考えなきゃ。ええとええと、これは自立語でええと・・・)(((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
まず、なにか適当に「答え」を言ったり書いたりしてしまう習性をいかに矯正するかです。そして、「これだ!」という答えにたどり着くまで我慢して考える続ける力を伸ばす。このへんに国語道場の指導の要諦があって、その訓練のためにも国文法の授業は大事だと思っています。