「苦手」と「怠惰」を勘違いするな

2014年05月26日

 この「『苦手』と『怠惰』を勘違いするな」という言葉は、塾長の創作です。「創作」と言っても元ネタがありまして、それは、元野球選手・監督の野村克也氏の「『スランプ』と『実力不足』を勘違いするな」という言葉です。選手の自覚を促すという意味で大変よい言葉だと思い、何とか子ども向けにできないかと考えて作ったものです。我ながらよくできていると思っています。

 最近、ダイヤモンド社という出版社の記事で、東京都の開成学園の高校野球部の話題が出ていました。その中で、選手の一人と髙橋秀実さんという作家とのやり取りが載っています。

--エラーばかりしている子に「野球は苦手なの?」と聞いたら、「いいえ、"苦手"ではなくて"下手"なんです。下手と苦手は違います」

どういう人かは存じませんが、同じようなことを考えたり言ったりする人はいるものだと思いました。

 また、われわれは言葉を使って考え、そこから生き方を決めていくものですから、やはり言葉一つ一つに対する繊細さは大切だなと強く思います。よくよく考えてみると、「苦手だ」などという言葉は、そうそう言っていいものではないことが分かります。

 よく、ご入塾の相談などで、「うちの子は漢字が苦手で」とか「計算が苦手で」といったお話を伺うことがあります。残念ながらこういう場合、実際にその漢字や計算の「苦手」を克服するために何らかの努力をしているという例に、凡そ出会ったことがありません。漢字の勉強方法が分からないということはまずないでしょう。要は何もやっていないというのが実際のところではないでしょうか。こういうことを「苦手」などと言うべきではなく、単なる「怠け」だと考えるのが適切です。

 事実をできるだけ適切な言葉で言い表すことは、自分自身についてのより正確な認識に繋がり、より正しい行動に結びつくチャンスになるでしょう。「苦手だ」という言葉は、努力に努力を重ねた末、どうしてもこれこれだけがほかに劣ってしまうというものについて、そう呼ぶに値するものです。単に怠けて必要な努力もしていないから出来ないだけなのに、「苦手だ」などと決めつけてしまうことは、望ましくない現状に対する開き直りでしかありません。また、不適切な自己認識によって、やっても仕方がないのだという思い込みに陥ることで、自らの成長の機会を失ってしまうことになりかねません。

 こうして突き詰めて考えていくと、「苦手」などと言う資格のある人間なんて、そうそういないのかもしれません。たとえば、ニュー・ヨーク・ヤンキーズのイチロー選手にとっての外角高めのコース(それでも2割5分くらいは打つ)くらいであれば、「苦手」と呼ぶにふさわしいものと言えるかもしれません。