「国語力を伸ばす」ために本を読めと言ったって、子どもは言うことを聞くわけないですよ

2023年01月10日

 岸田首相がドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄弟』を正月休みの間に読み切れなかったことを揶揄するようなニュースが流れてきました。お正月に読もうと思って買い込んだ本の中の一つだったということですが...。まぁ、短い正月休みの間に『カラマーゾフ』を読み切るのは無理でしょう。

 私としては、『カラマーゾフの兄弟』は卒論で扱った文学作品なので、思い出深いですね。

 私も、10代や20代の頃は、むさぼるように本を読んだものです。ドストエフスキーや漱石なら、主だった作品は全部読みました。

 しかし、半世紀を生きた今、若いころのようにエネルギッシュに読書にいそしむことは、難しいですね。集中力がなくなっているし、少し長い時間文章を読んでいると、目が疲れて文字がにじんで見えてしまいます...。やっぱり読書は若いうちに大量にするべきだと思います。

 岸田さんも御年65ということですので、読書で挫折したということに関しては、温かくスルーしてあげてほしい気もいたします。

 私が若い時期に本を読みまくっていたのは、心がそれを求めていたからというのがありますね。自分の生きる道についての悩み、将来への不安...、そういったものに対する答えを求めたところから始まりました。しかし、いくら世界の名著というものを読んでも、「答え」なんてものは書かれていない。「俺はどうしたらいいのか」を知りたい渇望から、あとからあとから岩波文庫を片っ端から読破していきました。

 そんな経験から、私は、読書はその人その人の心の必要に応じてすればよいものだと思っています。ですので、子どもと読書に関する世間一般によく見られる言説――「国語力をつけるために、子どもに本を読ませましょう」―-には、どうも違和感を覚えてしまいます。

 子どもに読書をさせると、語彙力がついて国語力が上がって、ひいては成績が良くなって、将来はいい学校に受かるから、子どもに本を読ませましょうということだと思うのですが、本を読むのはそういう動機でやるようなことでは本来ありませんよね。こんな「現世利益」的な不純な動機で子どもに本を読ませようとしているから、当の子どもたちは親の言うことを聞かないで本なんか読まなくなっていくのではないでしょうか。

 子どもの読書ですから、私が本を読みまくっていた時のような暗い動機である必要はありません。もっと純粋に、楽しみとして本を読むようになってほしいものです。面白いお話を読みたいとか、ちょっと賢くなれるような興味深い話を読みたいとか、そういう風に子どもを読書に導きたいですよね。面白いから読みたい、賢くなりたいから読みたい...。そういう動機で本を読むお子さんこそが、知的好奇心があって、語彙力も豊富で、勉強好きな人間に育つのではないでしょうか。

 しかし、そんなにうまく子どもを導くなんてことは、なかなかできるものではないでしょう。国語道場が西千葉地区で独占的にご提供している読書指導「ことばの学校」でしたら、それが可能です。

 今日の「ことばの学校」の授業で、一人の生徒が、読書のふりかえりワークの中の誤植を見つけて、私に教えてくれました。その生徒は、戦国武将毛利元就の伝記を読んでいたのですが、そこに出てくる登場人物の名前が、ワークで間違っていると言うのです。

 私も、元の本で確認しましたが、その生徒の言う通りでした。一度読んだくらいで、マイナーな武士の名前を覚えてしまうくらい、集中して楽しみながら本を読んでくれているのですね。とてもうれしくなりました。

 語彙力が豊富で知的好奇心にあふれる勉強好きのお子さんに育てるなら、読書指導「ことばの学校」はとてもおすすめです。無料体験授業を随時承っておりますので、ご興味のある方はお気軽にお問合せください。